1954年02月06日/大阪府立体育会館(ナンバ府立と表記) 年代: 1954
¥132,000 状態: 【良】 テープ跡あり
力道山&木村政彦vsシャープ兄弟の本格的なテレビ中継が放送されるわずか数日前、NHK大阪放送局が試験放送期間中に、関西と東海地区に向けてプロレス中継を放送した。 まさにその初めて放送された大会のパンフレット。 今日まで受け継がれてきたテレビ中継の歴史を感じることができる貴重な一品! 別紙プログラム冊子あり:山口利夫vsアンドリュー・ブッチャー / マナスル登山隊後援募金 / B4サイズ ※本体の冊子は針金が使用されておらず、用紙が挟み込みされたタイプです。 |
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『全日本プロレス協会』は山口利夫、清美川梅之助が中心となって旗揚げされた団体。 ※ジャイアント馬場の『全日本プロレス』とは直接の関係はありません。 |
1951年09月30日・10月23日 / 両国メモリアルホール 年代: 1951
¥330,000 状態: 【並上】 折れ線等ダメージあり
明治時代から「欧米大角力」などとよばれる興業は散発的に開かれていたが、正式にプロレスリングとして日本で開催された大会はこのときが最初とされる。 GHQ少将が進駐軍の慰問と日本の身体障害者児救済チャリティーとして9月30日に開催。 この一ヶ月後の10月28日。同所で行われた第4回大会のリングにエキシビションマッチとして力道山は初めてプロレスのリングに立った。 この2大会分の別紙対戦カードがセットになった、日本プロレス界誕生の瞬間を綴った超貴重なパンフレット。 別紙対戦カード2枚あり:(9月30日 本体にも英語で表記あり)アンドレ・アンドレエvsドクター・レン・ホール /(10月28日 別紙のみ。英語&日本語表記)★力道山デビュー戦 エキシビジョン 10分1本勝負★力道山光浩(力動山と表記)vsボビー・ブランズ / 英語・日本語双方の表記 / サイズ(21cm×15cm) |
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1951年9月30日に日本で初めて開催されたGHQのW.マーカット少将が会長を務める在日慈善団体トリイ・オアシス・シュライナース・クラブのプロレス興行 |
1957年10月07日~10月25日 年代: 1957
¥59,400 状態: 【並上】 書き込みあり / テープの補修等ダメージあり
日本にプロ・レスリングが登場してから4年、数々の大物外国人選手が来日し、力道山と激戦を繰り広げてきた。その間、日本選手権、アジア選手権を保持し、一時的ではあったが世界タッグ選手権も獲得するなど数々功績をあげてきた。そして、不世出の存在となった力道山の悲願であった世界選手権のタイトルマッチをついに実現する。1957年10月7日後楽園球場・特設リング(前日雨天順延)にて行われた、ルー・テーズ対力道山。この3年前にハワイで、力道山はテーズの世界選手権に挑戦したが、惜敗している。それ以来の顔合わせは、テーズの初来日となった世紀の一戦である。 サイズ(26cm×24.5cm) |