年代: 1969年以前
¥2,100,000 状態: 【並上】 ヒビ&右上角に若干の欠けあり
「闘鬼 力道山 昭和三十五年十二月吉日」神代杉に書かれた直筆の書 サイズ:横約67㎝×縦約27㎝ 力強く見事な筆づかいで書かれた「闘鬼」。力士として、プロレスラーとして、事業家として、人生を闘い続けた力道山らしい入魂の一筆。サイン以外で力道山の文字が残っていること自体が珍しい。※リキアパート建設時、力道山自室の茶室・床の間などに使用された高級材木・神代杉。当時の現場監督がその余った床板に記念として書いてもらい、半世紀以上大切に保管してきたもの。開運!なんでも鑑定団2001年1月9日放送回に出品され計100 |
1954年02月06日/大阪府立体育会館(ナンバ府立と表記) 年代: 1954
¥132,000 状態: 【良】 テープ跡あり
力道山&木村政彦vsシャープ兄弟の本格的なテレビ中継が放送されるわずか数日前、NHK大阪放送局が試験放送期間中に、関西と東海地区に向けてプロレス中継を放送した。 まさにその初めて放送された大会のパンフレット。 今日まで受け継がれてきたテレビ中継の歴史を感じることができる貴重な一品! 別紙プログラム冊子あり:山口利夫vsアンドリュー・ブッチャー / マナスル登山隊後援募金 / B4サイズ ※本体の冊子は針金が使用されておらず、用紙が挟み込みされたタイプです。 |
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『全日本プロレス協会』は山口利夫、清美川梅之助が中心となって旗揚げされた団体。 ※ジャイアント馬場の『全日本プロレス』とは直接の関係はありません。 |
1951年11月18日 後楽園スタジアム特設リング 年代: 1951
¥66,000 状態: 【並】 ダメージあり(欠損と剥がれ含む/裏面からの補修あり)
一般席 / 【力道山デビュー3戦目】力道山vsオヴィア・アセリン(オビア・アセリン) / 【ジョー・ルイス特別模範試合6回戦(エキシビジョン)】ジョー・ルイスvs在日米兵6名 / 【ボクシング】金子繁治vs佐々木民雄 / 米軍の慰問使節団の一員として、ボクシング元世界ヘビー級世界王座25回連続防衛記録保持者、ジョー・ルイスが来日!特別親善試合としてボクシングとレスリングの大会が開かれた。まだ日本国民があまり注目していない力道山も前座で出場。 |
1958年09月05日&06日 蔵前国技館 年代: 1958
¥59,400 状態: 【並上】 4つ折り/ダメージあり(裏面からテープ補修)
05日:力道山&ジョニー・バレンドvsドン・レオ・ジョナサン&スカイ・ハイ・リー / 06日:力道山vsスカイ・ハイ・リー / "マットの殺し屋"スカイ・ハイ・リーがシリーズに参戦!9月6日には力道山との60分3本勝負が行われた。1本目は度重なる反則技を制止するレフェリーにリーがパンチを浴びせたため、反則勝ちにより力道山が先取。続く2本目もリーの勢いに押され気味の力道山だったが、左右の空手チョップをリーの喉元に叩き込み反撃、最後は逆エビ固めで抑え込み勝利を収めた。/ サイズ(53cm×37cm) |
1957年10月07日~10月25日 / サイズ(26cm×24.5cm) 年代: 1957
¥49,500 状態: 【並上】 経年ダメージあり
日本にプロ・レスリングが登場してから4年、数々の大物外国人選手が来日し、力道山と激戦を繰り広げてきた。その間、日本選手権、アジア選手権を保持し、一時的ではあったが世界タッグ選手権も獲得するなど数々功績をあげてきた。そして、不世出の存在となった力道山の悲願であった世界選手権のタイトルマッチをついに実現する。1957年10月7日後楽園球場・特設リング(前日雨天順延)にて行われた、ルー・テーズ対力道山。この3年前にハワイで、力道山はテーズの世界選手権に挑戦したが、惜敗している。それ以来の顔合わせは、テーズの初来日となった世紀の一戦である。 |