サイズ(62cm×47cm) 年代: 1909
¥33,000 状態: 【並上】 4つ折り/折れ跡と経年劣化あり
1909年06月05日~14日 両國元町常設館(本所元町國技舘) / 【東】横綱:常陸山 大関:駒ヶ嶽 関脇:西ノ海 / 【西】横綱:梅ヶ谷 大関:太刀山 張出大関:國見山 関脇:玉椿 / 明治20年代初めから、「興行が安定して開催できる相撲常設館が必要である」という意見が出たため、常設館建設に動くことになった。竣工当初の名称は「尚武舘」が有力な候補となっていたが、大の相撲好きだった作家の江見水蔭が開館式のために起草した一文「角力は日本の國技なり」を見た三代尾車はこれに甚く感じるところがあり、土壇場になって名称に「國技舘」を提案した。開館式は空前の盛会となり、設立委員会の委員長を務める板垣退助が「國技舘」と命名されたことを高らかに宣言すると会場は万雷の拍手に包まれ、相撲は"神事"から"国技"へと変貌を遂げた。命名が最後までずれ込んだため番付表には「両國元町常設館」と記載されているが、翌年1月場所の番付表で初めて「本所元町國技舘」の名称が記された。なお先代は現在の国技館とは異なり、京葉道路沿いの本所回向院の境内にあった。 |