1976年08月03日 青森県営体育館 年代: 1976
¥22,000 状態: 【良】 裏面からテープ補修あり
アントニオ猪木vsジート・モンゴル、他 / 1955年に日本プロレスがアジアのシングル・タッグ両王者を決定するためのアジア選手権を開催、日本プロレス崩壊後は全日本プロレスに受け継がれたが、王座は休眠状態となっていた。1976年2月、アジアチャンピオン不在に異議を唱えた新日本プロレスがアジアヘビー・アジアタッグの王座創設を発表する。シングル部門は16名、タッグ部門は8チームの予選から始まったリーグ戦は全国で激戦が繰り広げられ、初代アジア・ヘビー級王者をタイガー・ジェット・シン、初代アジア・タッグ王者を坂口征二&ストロング小林組が獲得した。 / サイズ(75cm×52cm) |
1975年05月16日 両国日大講堂 年代: 1975
¥13,200 状態: 【良】 4つ折り/押しピン跡あり
【優勝戦】アントニオ猪木vsキラー・カール・クラップ / 【決勝トーナメント1回戦】アントニオ猪木vsストロング小林、坂口征二vs大木金太郎 / 総勢16名が予選リーグに参加した今大会。前回大会から2年連続で予選リーグをトップで通過したクラップが、先に優勝戦に駒を進めた。得点2位で猪木、坂口、大木、小林が並んだため4選手による優勝決定戦進出トーナメントが行われたが、坂口vs大木の因縁対決が両者失格となり、小林に勝った猪木が1試合で優勝戦に進出することとなった。同年に猪木からリングアウト勝ちを奪っているクラップだったが、前回大会に続き優勝戦で敗北し、猪木が2連覇を果たす。2年連続準優勝という戦績を修めたクラップは、初期の新日本プロレスにおいてジョニー・パワーズやタイガー・ジェット・シンと共に外国人選手の主軸となって活躍した。/ サイズ(74cm×52cm) |
1979年08月26日 日本武道館 年代: 1979
¥11,000 状態: 【並上】 ダメージあり(折れ跡含む)
【タッグマッチ時間無制限1本勝負】ジャイアント馬場&アントニオ猪木vsアブドーラ・ザ・ブッチャー&タイガー・ジェット・シン / 創立20周年記念イベントとして東京スポーツが企画し、興行戦争を続けていた新日・全日・国際の3団体による「夢のオールスター戦」が開催された。メインのタッグマッチでは猪木がシンを逆さ押さえ込みでフォール、馬場&猪木組が快勝した。試合後には猪木から馬場へ対戦要求のマイクアピールがあり、夢のカード実現の機運が高まったが、2回目のオールスター戦は実現しなかった。 / サイズ(72cm×51cm) |
【東スポ版】75闘魂シリーズ第1弾 / 中吊り広告サイズ 年代: 1975
¥11,000 状態: 【並上】 パウチ加工/8つ折り/ダメージ少々あり
1975年10月9日(木) 蔵前国技館 / 1962年の日本プロレス時代に一度だけ対戦した両者、その時はテーズ必殺のバックドロップにより猪木の完敗に終わる。その13年後、31歳の猪木が保持するNWF世界ヘビー級王座に59歳のテーズが挑戦する形で再戦が実現した。試合開始直後、先制のバックドロップで観客をどよめかせ健在を見せつけたテーズだったが、最後はブロックバスター・ホールドからのフォールで猪木が勝利し王座防衛に成功する。またこの試合は特別レフェリーとしてアントニオ・ロッカが初来日し日本のプロレスファン・プロレス関係者に歓迎されたが、ロッカの生涯で最初で最後の来日となった。/ サイズ(53.5cm×39cm) |