
大山倍達生誕100周年
「猛牛の角」&極真関連お宝特別展示販売
・大山倍達が倒した「牛の角」
1954(昭和29)年1月14日 千葉県館山八幡海岸
南部牛・雄・5才・体重450kg
参考:記録映画「猛牛と闘う空手」、報道記事
★大山倍達が倒した「猛牛の角」と実使用闘衣一式★
税込価格 \10,000,000-
大山倍達が国内で2度行った公開での牛との決闘に関連する至宝品一式
その他、智弥子夫人への手紙、1954~1956年当時報道されたの新聞資料コピーなども付属
【猛牛と闘う空手】
1954(昭和29)年1月14日 千葉県館山八幡海岸にて大山倍達七段が実際に闘い折った牛の角(南部牛・雄・5才・体重450Kg)。 記録映画「猛牛と闘う空手」他で広く報道。
「牛殺し大山倍達」として、超人追求を目指し究極の強さを体現した象徴的な逸品。
実際に大山倍達が倒した牛の角だと、資料が残っていて照合可能な唯一の角。
この最強を求める「体験」が直接打撃制の極真空手を生み出し世界に普及させた。
「私としての生涯に於ける処の新らしい記録を作った。他人が何を言ようと目的の為に馬鹿になる度胸が私にとって大事であった。」
【セット内容】
実際に闘った牛の角 実使用トランクス この出来事を振り返った大山倍達直筆の手記 当時の報道記事と白黒写真 ダイナミック空手(大山倍達著※第20章「牛と戦う空手」172~178項) 一撃の空手(VHS) 大山倍達外伝(基佐江里著)
【世紀の決斗!猛牛対大山】
1956(昭和31)年11月11日 田園コロシアムにて「空手対猛牛」で着用したもの。
対決した牛は562Kgある猛牛雷電号、20m四方を木柵で囲った決戦場に対峙した大山七段は、雷電号の両角を掴み渾身の力で首を捻上げ、必死に堪えていた雷電号を遂に引き倒す。
首を捻り上げ押さえ付けたところで「これ以上締めると牛は絶命しますので中止します」と場内アナウンスが流れ、見事に大山七段が9分50秒ドクターストップで勝利をした。
【セット内容】
実使用ベルトとシューズ 決戦直前の山籠り合宿中に妻・大山置八子(智弥子)へ送った直筆手紙付 着用参考写真付
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大山倍達
国際空手道連盟極真会館創始者。 1923年6月4日生まれ。
清澄山にて1年8ヵ月の山籠り修行を敢行し、千葉・館山で猛牛と対決。47頭の牛を倒し、うち4頭は一撃で即死。その後、渡米して全米各地を回り、空手の演武とデモンストレーションを行い、空手をアピール。その間、プロレスラーなどと真剣勝負を繰り広げ7戦全勝。その後も度々世界各国を歴訪し、演武と指導を行い、空手を世界に広める。
1964年、国際空手道連盟 極真会館設立。1969年には『直接打撃制(フルコンタクト)』を提唱し、第1回全日本空手道選手権大会を開催。1975年には第1回全世界空手道選手権大会を開催して、全世界に極真空手ブームを巻き起こす。世界120ヵ国に公認道場を持ち、1200万人の門弟の総裁として、その生涯を極真空手に捧げた。1994年4月26日、肺癌のため急逝。享年70歳。