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【闘道館】20周年記念特別対談 ~ターザン山本×闘道館館長~ 第5回

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闘道館20周年記念特別対談
ターザン山本×闘道館館長

⑤「格闘空手大道塾

館長94年4月に上京。早稲田に入って、まずビックリしたのは、多種多様なサークルがメチャクチャあったことです。確か2000くらいはあったんじゃないかと思います。これが大学か!?と入学してからその魅力を知りました。

たくさんあるサークルの中でマニアックな思想系サークルや長渕剛や中島みゆきファンクラブなど同じ趣味趣向が集まるサークルをいくつも掛け持ちしました。
大学の授業は期待ハズレでビックリするほどつまらなかったので(苦笑)、ほとんど出ませんでしたが。

そのかわり古本屋街が充実してたので、本をガンガン買ってきては読み漁り、バイト代が貯まったらイスラエル、ニューヨーク、タイ、香港などへ一人旅。自分なりに学生生活を徹底して謳歌しました。
まあ側から見れば、親のスネかじってる学生が学業を放棄して、好きなことして遊びまくってるだけなんでしょうが(笑)

ターザン山本パチパチパチ。「アリとキリギリス」のキリギリスになれたんだね。それが青春ですよ。  

館長:この頃、自分に言い聞かせてた言葉は「見る前に跳べ」。
未知なるものにこそ、怖がらず体で飛び込んで行けって。
イスラエルを1人でまわったときは、バス自爆テロが頻発していて、、
バス乗ってたら、突然軍人が乗り込んできて乗客全員持ち物検査されたり、緊張感あったんですが。
旅の途中に東京で地下鉄サリン事件が起こって、
エルサレムのアラブ人から「ヘイ ジャパニーズ、ニュースみたか?今、トーキョーが世界でナンバーワンデンジャーだぞ」って教えられビックリしました。
「お前はここに逃げてて安全でよかったな」ってからかわれたんですけど(笑)
何が危険と感じるかなんて、所詮イメージと相対的なもんだよなって。

ターザン山本:ハハハ、あのとき館長はイスラエルにいたんだ。

館長そんな中でも学生時代、一番メインに取り組んだのは、やっぱり格闘技でした。
格闘空手 大道塾。学内に支部があったんです。
サークルと言うには本格的、でも学生たちで運営するので純粋な支部とは言えないということで、準支部という扱いで。格闘空手大道塾・ 早稲田準支部。

そこに入学と同時に入門し格闘技をようやくキチンと習うことができた。

大道塾は、極真空手から派生した打・投・極全部ある総合格闘技(武道)なんですが。
入門したら、まず極真ルールから始めて、つぎに顔面パンチや頭突きを加えて、さらに柔道の投げやアキレス腱固めとかU系の関節技もありにして、最後は体力差があれば金的もありという試合ルールに幅を広げていく。「フルコン」から「なんでもあり」へ、時代の隆盛を取り入れながら進化していこうという実戦主義の団体だったんで、ミーハーに色々やってみたい自分にピッタリでした。
ちょうど市原海樹先輩がUFCでホイス・グレイシーとやった直後の頃です。

ターザン山本:それは団体を作った東孝さんのセンスが秀逸だったんだよね。

▲学生時代 大道塾塾長・東孝先生と

館長初めて東先生にお会いした日。早稲田で稽古つけていただいた後の歓迎会の2次会で、先に店にいたヤクザの集団と大乱闘になっちゃって(苦笑)、東先生は数人に囲まれ胸ぐらつかまれたところを頭突きと肘打ち、一瞬で相手2人の歯を叩き折って撃退したんですね。東京に来たらすごいことが現実で起こるんだと興奮しました(笑)

ターザン山本えぇー。そんなことがあったんだ。

館長上の先輩方は先生が乱闘に巻き込まれ、事情聴取でパトカーで連れて行かれてしまったので、猛省しきりでしたが、新入生の自分たちには最高にシビれる劇画を地で行くような出来事でした。
入学してすぐのことです。

稽古は当時ベースボールマガジン社の「格闘技通信」に入社したばかりの北斗旗全日本チャンピオン・朝岡秀樹先輩が直接教えてくれるし、校舎の敷地内にサンドバックが吊るしてあって毎日好きな時間に蹴れるし、先輩も同期もみんな相当な変わりモノ、はみだしモノばかり集まって刺激的だし。最高の環境でした。

で、大学2年になる頃に、極真主催の新2年生を対象にした関東学生大会新人戦があって無差別の大会だったんですけど、私は優勝することができたんです。
あくまで新人戦なのでレベルが高い大会ではないんですが、それでも極真以外の他流派が優勝したのは大会史上初めてだったので、ちょっとした話題になり、私もかなり自信がついた。

そして3年生で準支部の主将を任されるんです。
 
▲左前、主将をやってた頃 大隈講堂前での演武会

館長:新歓の時、張り切って「早稲田最強の男は大道塾がつくる!」ってリングス風に書いた5メートルを超えるでっかい看板を大隈銅像脇の目立つところにバーンと置いて、タイへのムエタイ合宿を企画して、「一緒に楽しくタイに行って強くなろう!」って1年生を勧誘したら、いつもの練習場じゃ入りきらないくらい新入生がたくさん集まってきました(笑)

ターザン山本:えぇ、タイ合宿?タイにまで練習しにいったんですか。

館長:はい、結局参加したのは10数名でしたが、空港からみんなでバンコクのカオサン通り(安宿街)に直行して、「各自適当にその辺のゲストハウス自分でとってね。朝はこのレストランに集まってミーティングするから。ムエタイジムの稽古は毎日必ず参加。それ以外は自由!」ってかなりゆるい感じでやりました。

ターザン山本:すごくいい体験だね。  

館長:そんなことしながら、ふだんの稽古ではしょっちゅう他流派にも積極的に声をかけて、仲良く合同稽古したり、出稽古しあったりしてました。早稲田はフルコンタクト空手だけでも、極真、大道塾、正道会館、佐藤塾、芦原カラテ。
他にも失礼ながら得体のしれない空手流派がわんさかあった。
でも学生同士なんでこちらから低姿勢かつフレンドリーに声をかけたらどことも垣根なく交流できた。それも一つ一ついい思い出です。

個人としても大道塾の定期戦はもちろん、アマチュアシュートボクシングなど他の競技の試合にもチャンスがあれば出まくって技を磨き、
97年。4年生の春に北斗旗体力別の全国大会に予選を突破して出場できたんですが、九州の真武館・久原清幸選手と対戦して負けた。
そこで一区切りついたんです。

▲ムエタイ合宿での朝稽古

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