『アントニオ猪木が若獅子とよばれた日本プロレス時代の実使用ガウンで間違いございません。
猪木さんのガウンは、プロレス関連のお宝の中でも、最高峰のもの。
38年の長い現役生活で数十着存在しますが、市場にでてくることはめったにありません。
このガウンが実際に使用されたのは昭和43年から45年にかけて。
力道山亡きあと、ジャイアント馬場とタッグを組み、BI砲として黄金時代を築いたレスラーとしての全盛期です。
特に昭和44年12月2日。大阪府立での ドリー・ファンク・ジュニアとのNWAヘビー級タイトルマッチ。
アントニオ猪木自他ともに認める生涯のベストバウトです。
この試合でもこのガウンを着て入場しています。
当時のNWAチャンピオンは誰もが認める世界最高の権威。
そこに猪木さんがはじめて挑戦した試合で、結果は60分フルタイムのドローでした。
他にも第11回ワールドリーグ戦シリーズ 。このとき猪木さんは、馬場さんを抑え、念願の初優勝を飾ります。
こういったキャリアの中でも重要ないくつもの大会で、このガウンが使用されています。
デザインですが、全身にからみつくような大きな大蛇。なんと手がきなんですね。ところどころ、書き損じと思われる箇所を白で修正されていますが、よく描けています。
これは当時の猪木さんの代名詞的な必殺技・コブラツイストを表しています。
この時代、猪木といえば、コブラツイストでした。
コブラツイストは2年半のアメリカ武者修行から凱旋帰国後、メインエベンターになった猪木さんが日本ではじめて使い出した技なんです。
その後、卍固めや延髄斬りなど、新たな必殺技を編み出して行くんですが、最後の東京ドームでの引退試合で有終の美を飾ったのはコブラツイストでした。
それだけこの技は猪木さん本人にとってもこだわりと思い入れの深い技なんです。
コブラには毒があります。
また、より大きく脱皮していくイメージもあります。
若獅子とよばれ、虎視眈々とジャイアント馬場をこえてやろういう野心を秘めていた当時のアントニオ猪木。
そのイメージにもピッタリのガウンです。
アントニオ猪木の入場ガウンといえば、コールを受けた時に、帯をサッとほどき、一瞬で脱ぎすてる所作がファンの記憶に刷り込まれています。
そういった意味で帯がついていないのは少し残念ですね。
また当時は純白だったこのガウンも50年たって、色の変色、そしてシミも目立ってきています。
帯がついていて、もう少し保存状態がよければ700万以上つけれました。
マット界の国宝といっていいくらいのものです。』(泉)