

<目次> 第1章 生みの苦しみ 第2章 闘道館 はじめの一歩 第3章 闘道館 第1ラウンド 第4章 どんちょう(幕)はあがった
第1章 生みの苦しみ
1.我流辞典(将来創るであろう会社の名前)
「なぁ、もしここのテナントで何でも商売していい、って言われたら何する?」
私達は、歩いていて「空室テナント募集」の張り紙を見ると、決まってこの会話をする。 「ここは、大学が近いのに本屋がない。書店がいい。」(後に、その場所はBook・offとなった。) 池袋ジュンク堂前の空きビルを見ては 「ジュンク堂に対抗して巨大古本屋のビルにして、ボケ(関西大学前にある古本屋、5円から売ってる。)なみの価格破壊をやる。」 「焼きたてパン屋さん」、「ファースト日本茶屋 桜庵」、「米のおいしいおにぎり屋さん」、「ベビールームなかよし」 などなど、ベンチャーを夢見て空想に耽っていたのです。
2.看護婦の商売未来計画
私の家系は生粋の商売人。 質屋をするおばあちゃんからは、「偉い人は皆、屋台から始まった。」と教えられ育った。 また「粉の商売は儲かる。」と聞けば、焼き鳥屋の父の横に並んで、たこ焼きを売ってみた高校時代。
が、なのになぜか、私は看護婦という道を選んでいた。 しかし、私は大学・臨床の7年の間も密かに「未来計画」と題して商売のことをよく考えていた。 車の移動販売であれば少資金で始められる。 渋谷や原宿、下北のクレープ屋の前で、一日何人来て、1枚何秒で焼けるかなど、こっそりタイムウォッチで計ったこともある。 3年間看護婦として働いたら、独立開業しようと決め、2000年3月に某日○医療センターを退職した。
さぁ!行くぞ!と気合を入れたものの、まだ「闘道館」の話は出てきません。 ここより半年、私は混沌としたモラトリアム期を過ごすのです。
3.モラトリアムなお遍路さん
看護婦を辞めると同時に私は組織に属さない、ただの無職人となった。 何の肩書きも持てないからには、自分に自信がなければならない。 うん、修行に出よう! 4月初旬、四国八十八ヶ所巡りに出発。 以前、20歳になったときに「10代のけじめをつけよう!」(なんやかんや意味をつけるのが好き)とバイクで巡った事がある。その時、歩いて巡る昔ながらのお遍路さんを見かけると、頭が下がる思いがした。 次は歩きで来ようと思っていた。 1日30~40kmを歩く。私は信者でも何でもない。お遍路ルックもお賽銭もなにもしない。 ただ、自分が何をやりたいのか、自分に問うていた。 2週間が過ぎ、出発前から予定が入っていたため一時遍路を中断し、東京へ帰ってきた。 すぐ再開するはずが、やる気になれない。 毎日、歩くだけの日々に飽きていた。 ダイエットも兼ねるはずが、食欲増進、体重増加、もろ健康生活。 何も答えは見つからない。
こうして堕落していく。
私は「武士道」が大好きだ。 隆慶一郎や司馬遼太郎の時代小説を読んで生きるエネルギーに変えてきた。 歩いているころからは、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読んでいた。 時代の伏線に導かれ竜馬は大事を成す。 人間には生まれ持った「器」があるんではないか。 館長曰く「時代小説には、歴史というカンニングペーパーがある。気にせんでいい。」と言うが、それにしても私は竜馬を超えられないような気がする(当たり前か・・・)。 私は今まで、自分の「器」が大きいと錯覚していたのではないか。 組織から逃れれば何でもできると思い込んでいた。 しかし、無職人となり、消費するだけの生活。 お遍路、途中棄権。 やりたいことが見つからない。 今回の「竜馬がゆく」の司馬パワーは、マイナスの方向へ向かってしまったようだ。 「将来はますます有望」と信じてきた私が、その言葉を生まれて初めて疑うようになった。 それからというもの、私は、もやもやとした気持ちで過ごす。 やりたいことがないため、異常に眠る。 眠りすぎて自己嫌悪になり、意味もなく都内を歩き回り(徘徊ではない)、図書館や公園で時間を潰す。 ある時は、パソコンソフトの「特打」や「北斗の拳」にはまり、一日中キーボードを「アター、アタタタタタタッ」と叩き続け、ブラインドタッチに明け暮れた。 ある時は、スカパーのエアロビクス放送にはまって、一日中部屋で踊り狂っていたこともある(痩せなかったが)。・・・うーん、何か文章にするとかなりやばいおばさん状態。 でもそんな私にもナイーブな一面もあり、夜中になると目標のない堕落した生活に情けなくなり泣けてくる、眠れない。(眠れないのは、ただ単に寝すぎという説もあるが・・・)
4.極上焼き
2000年6月、母から電話。 「冨士屋のときちゃん(実家の近所にあるお好み焼き屋さん)が土日だけ移動販売しよって(してて)、そこで売るモダン焼きがよう売れる(よく売れる)らしいけん(らしいから)、東京でもやったら(やれば)?ときちゃんに頼んであげるけん(あげるから)、修行しに帰ってきぃ~(帰って来なさい)!」 何かおもしろそう!断然やる気になってきた。 久しぶりにドキドキして脈拍160を超えそう。 翌日に帰省。 ときちゃんのお好み焼きは小さい頃から食べている。 なかなかの味。 値段を安くして、大学の近くで売れば絶対いける! 店名は「極上焼き」でいこう!と夜行バスに揺られながら私は鼻を膨らませていた。 地元・徳島に到着、早速、ときちゃんに弟子入りする。 ときちゃんは母の友達で、授業料も出世払いでいい、と言ってくれる。 材料の仕入先から分量まで全て教えてくれた。 新しいメニューを教わっては、親戚・友人宅の夕食にお邪魔し、試食をしてもらう。 そうして1ヶ月が過ぎ、私はときちゃんから貰った「Myテコ」(お好み焼き用のフライ返し)を持って東京へ帰ってきた。
さぁ、独立開業移動販売「極上焼き」始めるぞ! カン、カ~ン!(Myテコを合わせる音。)
まず、保健所に車で移動販売をする際の規定を聞きに行った。 何とか自分で工夫して改造できそう。(業者に依頼すると改造車を作るのに100万以上かかるらしい) 場所は、早稲田大学界隈(自分が近くに住んでいるから地理に明るく、学生も多いため)。 映画でよくある「ショバ代」って実のところどうなってるの? ミンボーな私は交番に聞きに行く。 車の移動販売に関しては、警察は道路交通法違反としてしか取り締まれないらしい。 気になる「ショバ代」については、「昔と違って今はないんじゃないのぉ~。もし言われたらその場で警察に電話してきなさい(現行しか取り締まれないから)。」・・・何か頼りない。 女手一つ「極上焼き」を守っていけるのか。 うぅ~気になる「ショバ代」。 歌舞伎町でも屋台や車での販売をやってる、この人たちに聞こうかぁ。 何か聞きづらい。 「殴られ屋」という本では歌舞伎町で殴られ屋をしているとヤクザらしき人たちが来た、と書いていた。 どうしよう私の所にヤクザの人が来て「ワレ、誰の許可を得て店出しとんじゃ~!何ぃ~、極上焼きやてぇ~、ワレを極上焼きにしてさらしたろかぁ~!」などと言われたらどうしよう・・・。 館長に相談しても、「『イノセントファイター2』って本に、ラーメン屋台を出した時、警察にいびられないようにラーメン賄賂を持って行ってたから、同じ様ににお好み焼き賄賂を送ればいいんちゃうん。」と言う。 私の中で「ショバ代」に関する妄想が膨らんでいた。(後に、テキヤ業界というのが全国にあることを知る) まぁ、それより早稲田界隈で「極上焼き」をするなら商店街や大学の警備に迷惑がられない場所を見つけることが先決だ。 毎日、大学~高田馬場まで歩いて探した。 電気やスペース、人通りを考えると中々良い場所がない。 その他、リターン客や衛生面から考えれば店舗を構えた方がいいかもしれない。 はじめて「店舗」という手段が浮かんできた。 それから、不動産の貸し店舗もよく見るようになった。 なかなかいいのがあった。 早大正門目の前、家賃12万。 いける! しかし、飲食店不可、になっている。 「どぅおーしてですかぁ~!」と唾を飛ばしながら不動産屋さんに聞いてみると、「ダメって訳じゃないんだけど、夏休みとか大学が休みになると誰も人来ないよ。」とのこと。 ・・・確かに。 店舗を構えたら、「サブウェイ」風、お好み焼きトッピング方式にして、基本生地(キャベツ、天カス、卵入り)200円で「ボンビーな学生も大丈夫!」なお店にしようと思ってたのにぃ~!
6月から続いた私のハイテンション期もやや下り調子になっていく。 そうなると私のウジウジ虫が出てきて、私は本当にお好み焼き屋がやりたいのか?そんなにお好み焼きが好き?う~ん、やっぱり自分が好きなことでないと客のニーズが掴まれへんよなぁ・・・。 何百万もかけて始める事業、一度走り出したら止まれへん。 何?私が好きなことって。 いまいち開業の話も進まないまま過ぎていく、なんとなくの日々。
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